胃癌とマラソン
2017.9.17 TANGO100Km ULTRAMARATHON
TANGO100Km ULTRAMARATHON
2017.9.17
「この一日が人生を変える。」
目指せ第三関門!71.8Km
2016年 全摘1年1カ月で挑戦した60キロ
2017年も、60キロでエントリー済み
エントリー締め切り4日前 100キロに変更するか悩む。
7月24日エントリー締め切り日 100キロ変更
完走できる自信は全くない。
体力も走力もない私には、丹後100キロは無理と解っている。
自論として、目に見えないものは手に入らない。メダルは私の手の中には見えない。
なぜ挑戦したくなったか。
パンフレット高低図を眺めると、コレが実に面白くワクワクドキドキするコース。
60キロ難関の七竜峠が2度あり、さらに60キロから約10キロ第三関門71キロ突破するには、碇高原400メートルを駆けあがらなければならない。
確実に手にいれられるだろう60キロ完走メダルより、完走できなくても第三関門71キロまで行ってみたくなったのである。
いつもお世話になっているカフェやんちゃ村 西脇さんが100キロ挑戦することに、多くの刺激を受け私も挑戦したく、眠っていた火山が目覚めだした。
人を動かす仕事をしながらも、結果的人に動かされたということになった。
人は人に動かされる。
ウルトラを走る人は長ければ1年先から練習したり、半年は欲しい。
50日で100キロ変更した私は練習が足りないなんて言い訳しない。
「目標が決まれば行動が変わる。」
十分過ぎるほどできることはした。
練習に後悔はない。
一緒に練習してくれたラン友仲間に感謝。
最後まであきらめず第三関門目指します。
To run is to live
走ることは生きること
走ることは生きること 尾﨑礼佳でございます
走ることは生きること、再確認させていただき、
2017.9.15 丹後ウルトラ60キロ
2017.10.29 富山マラソン
調整に入りました。
特に丹後60キロは、この夏をしっかり走り込まないと完走は無理
7月 8月には、40キロ走を月に2回を入れ調整します。
写真 オフィス近く 私が名付けた ペコちゃんロード
青々と茂った緑
数年前 私のクライアントでもあった、若い女性が自ら命を絶った。
ペコちゃんのように可愛らしく美しかった。
伏見大好きだった女性・・・。
走ることは生きること
大切にします。
光と陰 心が折れました。
尾崎礼佳でございます♪
走れなくなりました・・・。
心が傷つき折れてしまいました。
走ることは生きること。 だった私はどこに行ってしまったのでしょうか・・。
宮古島 青い空とエメラルドの海
涙が止まりませんでした。
禊してきました。
2017.4.23 水都大阪100キロウルトラマラソン完走
走ることは生きること、尾﨑礼佳でございます🎵
2017.4.23 水都大阪100キロウルトラマラソン完走いたしました。
胃がん全摘1年8か月の挑戦
たくさんの応援で完走いたしました。
感謝いたします。
ありがとうございました。
人は言葉で動く
走ることは生きること、尾﨑礼佳でございます♪
人は言葉で動く
グリーフケア
走ることは生きること 尾﨑礼佳でございます🎵
今年の桜は一週間ほど遅れながら、見事に私の住む京都伏見も満開となりました。
事務所近くの酒造と十石船です。
私の大切な人が4月8日 夕方、天国に逝かれました。
私が最初に胃がんになり、応援してくださり、たくさんの栄養をつけるよう食事に誘ってくださったり、マラソンに関してもいつも応援してくださいました。
1年8か月前、私は再度に胃がんになり全摘手術するも、隠して隠し通した。
それは、自身ががんに蝕まれ手術できない状態と告げられたので私は黙っていた・・・。
1年8か月騙してきたのではない。
私は1年8か月もの間、自身ががんに蝕まれながらも私を応援してくれたこと、し続けられたことに悲しみと感謝でいっぱいです。
5月に逢うと約束していて叶わぬ約束になりました。
2週間後、100キロも走れるのだろうか・・・
グリーフケアが必要です。
グリーフケアとは(京都グリーフケアより抜粋)
人は死別などによって愛する人を失うと、大きな悲しみである「悲嘆(GRIEF)」を感じ長期にわたって特別な精神状態の変化を経てゆきます。遺された家族が体験し、 乗り越えなければならないこの悲嘆のプロセスを「グリーフワーク(GRIEFWORK)」と言います。 愛する人との死別を体験した人は、誰もがこのグリーフワークのプロセスを歩みます。 グリーフワークのプロセスは、年齢や性別、死別した状況、故人との生前の関係性など、 個々人によって異なりますが、グリーフ状態はいつの日か徐々に終結へと向かうと考えられています。 そんな中、親や兄弟を亡くした子供たちは、大人とは異なる悲しみを抱え、異なる悲嘆のプロセスを経過します。 更に、東日本大震災のように突然、自然の力で降り注いだ人の死は、子どもたちは勿論、 ご遺族に想像を超える悲嘆を経験させることとなります。グリーフの回復は個々人により回復時間も変わり、 そのプロセスも個々違うということを知ってグリーフケアをおこなっていかなければなりません。
グリーフケアは一般的に死別後の遺族への援助と考えますが、 大切なひとの死前後を問わず結果として遺族の何らかの助けになる行いのことを意味します。 もちろん、大切なひとの死が安らかであることも重要です。また、遺族にとって過去を振り返る中で、 いくつかの出来事や事柄について「良かった」と思えることが、少なからず心の支えになるのだと考えています。 そのようなことからグリーフケアが考慮された終末期医療や、 お葬儀自体がグリーフケアと考えることが出来ると思っています。
2017.3.8 京都市中学校にて講演
走ることは生きること、尾崎礼佳でございます♪
京都市からお仕事をいただき、病気と向き合い治療しながら中学生活をおくる生徒さんたちへ「走ることは生きること」講演させていただきました。
司会進行、最後の挨拶まで全て生徒さんで作られ、初めに私の紹介をしていただいた時に私はすでに涙目になってしまう始末
二度のがんになり、胃を全摘しても走る思い、生きること、夢は語るものでなく叶えるものなど話させていただきました。
…
マラソン42.195は、いきなり完走はできない。日々の練習積み重ねが結果をもたらし、あきらめないで最後まで走る。
あきらめたら、あきらめグセがつくから…と話したら、生徒さんの感想の中で、学校を休んでしまうことがあるが、クセがつくから頑張って登校します。などという感想もいただきました。
今は、治療で尾崎さんのように走れないけど、いつか目標持って走りたい。挑戦したい。と言う感想には、本当に涙が溢れそうになりました。
病気と向き合いながらの学校生活は大変だと思います。
簡単には言えないけど、たくさんの夢を叶えて欲しいと願います。
完走メダルも手にとって見ていただきました。
また今月末には、心臓病のお子様たちに完走メダルお届けする予定でございます。
完走メダル受付しております。
ありがとうございました。
2017.2.4 立春を迎え滝行
走ることは生きること 尾﨑礼佳でございます🎵
2017.2.4 立春
3年連続立春 滝行
じんじんと足の裏から、身体まで震え上がり、滝の目の前で作法も何もかもが真っ白になりました。
ナーマンクサーマンダ・・・ 三回唱えるのに必死
滝から上がると、身体がポカポカと暖かくなります。
私の身体が私を守ろうとしてくれるのが解ります。
本当に、私は胃がん 胃全摘者でですが、健康だと思えました。
「感謝」
2017年は、仕事にマラソンも一所懸命頑張ります。
2016.2. 京都マラソン 胃がん全摘 6カ月完走
201.2.19 京都マラソン 胃がん全摘 1年6か月
「駆ける、恩返しの道を」今年も精一杯走らせていただきます。
2017年 走ることは生きること
2017年1月1日 走ることは生きること 尾﨑礼佳でございます。
あけましておめでとうございます。
年末インフルエンザになり、元旦から外出し通常生活に戻りました。
ランニングも一週間ぶりに再開し、ウォーキングから軽めのジョグ、ストレッチと筋肉を呼び戻すように身体を動かしてきました。
さて、2016年は胃を全摘しながらたくさんの人に応援されながらフルマラソンを6本
ウルトラマラソン初挑戦 60キロ完走
また、100キロウォーキングを2本完歩
トレイルラン25キロ完走
本当に、走って歩いて良く完走・完歩いたしました。
たくさんの人に支えられ完走できたことい感謝いたします。
京都マラソンでは新聞取材、京都新聞・読売新聞・産経新聞
丹後ウルトラ60キロ挑戦では、産経新聞
NAHAマラソンでは、琉球新報
講演会活動として、和歌山紀州新聞、神戸新聞にも掲載していただきました。
また、京都 向島東中学校講演の依頼もいただきました。
2017年も、目標に向かい叶えるために努力しつづけます。
どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。
2017年 京都桃山御陵にて。
愛別離苦
走ることは生きること 尾﨑礼佳でございます🎵
愛別離苦
親愛な者と別れるつらさ。親子・夫婦など、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみ。仏教でいう、八苦の一つ。
この言葉を使うのは2回目
8年8か月家族だった、ロシアンブルーのももちゃんが虹の橋を渡って、私はペットロスになり涙が止まらなかった。
悲しい毎日をおくっていた。
そして、人生に再度 この言葉がやってきた・・。
初恋の人が孤独に天国に逝ってしまった。
本当に大切な人だったのに、大切にするという方法を知らない私は傷つけるばかりだった。
未熟な私は傷つけることで、確認することしかできなかった。
最後に、また傷つけ、傷つけるつもりが自分を傷つけ、まわりも傷つけ人生を狂わせてしまった。
出会って43年
生活して17年
あれから、19年
そんなに月日が流れたのだろうか・・・。
何も色あせていない便箋、写真
さようなら イッサン
今日、100キロ走る決意したよ。