プロフィール
尾﨑 礼佳 おざきあやか
ANICCAのホームページにいらしてくださり、ありがとうございます。
ANICCAの出会いは、2009年9月ヴィパッサナー瞑想との出会いでした。
ひたすらに自己をみつめ、心の奥の一切合切に気づくこと。
「今、ここに」存在する自己を深くみつめていくことを体験し、
ANICCAの言葉に出会いました。
「無情・はかなさ・変化すること」人は常に変化するもの、
自分らしい生き方に気づき、自分の夢を語ることによって、
実現するものを見つけてゆきます。
あなたの変化をお手伝いするのが、私の仕事です。
Be Haopy!
2003年 11月 スキルス胃癌だとその場で告知される。
その時、親より先に死ぬということを、頭の中に鮮烈に過る。
癌を告知され、「生」とは「死」とは、「親」とは「子」とは 生きるとは、何かに向き合い、
カウンセリング・セラピーを学ぶ。 2006年より 老人介護施設・高齢者有料住居型ホーム勤務する。
生きることを含め、「老い」とは何かを探求する。
2015.8.3 再度の胃がん 全摘手術
あらためて生きるとは何か、自分の生き方を考える。
「走ることは生きること」 術後病室で確信する。
2015.11.1 胃がん全摘 術後3か月 富山マラソンで復活する計画を立て挑戦する。
4時間56分完走 そこには一人では完走できない、新たな物語がうまれる。
私は自己評価も低く夢も大きくありませんでした。 でも少しずつ変わりました。
さまざまなトレーニング、ゲシュタルト・エリクソン催眠・古典催眠・カウンセリングクライアント体験をし、自分を見つめながら自分を受け入れる時間をたっぷりとりました。
学ぶだけでなくクライアント体験こそ学びです。
人は、少しずつ変化し変わっていきます。
そして1ミリの変化が生まれました。
1ミリの変化のサポート
大きく変わらなくても良い。たった1ミリ小さい変化を起こすことで、考え方、
物の見方が変わり、そして歩き方や話し方が変わってきます 。
そうすることで、あなたにとっての大切なものは何だったかに気づくことができます。
親子の絆、まれにしか生まれない命の尊さ、そしてあなたらしさを大切にして欲しい。
あなたの1ミリの変化をサポートするのが、私の仕事です。
2010年より、生きづらさ生きにくさを追求し、そこから自分らしさを見つけるための
各種セミナーを開催している。
趣味 マラソン
介護福祉士 心理カウンセラー
ANICCA代表
東京都出身・京都在住
心理カウンセラー プロコーチ セラピスト
☆米国NLP協会認定NLPマスタープラクティショナー(財団法人 生涯学習開発財団認定)
☆カナダSucess Strategy社認定LABプロファイルプラクティショナー
☆ハコミセラピー セラピストトレーニング終了
☆NPO法人 日本心理カウンセラー協会正会員
介護福祉士
老人介護施設デイサービス 勤務8年 2014.9.29退職
二度のがんを経験し、再度介護の現場に復帰する。
サービス高齢者住宅 2015.11より勤務
2011・4より武蔵野大学 通信教育部 人間関係学部 人間関係学科
心理学専攻
2013 中退
最近の趣味
曼荼羅ぬり絵・曼荼羅アート・和(NAGOMI)パステールアート インストラクター
マラソン
2012.4.22 伊勢志摩パールロードハーフマラソン完走
2012.4.23 右足 骨折
201311.17 神戸マラソン完走 4:59
2015.3.8 名古屋ウィメンズマラソン完走 4:15:18
2015.5.24 ウルトラマラソン鯖街道 (半鯖)43キロ完走後、人間ドック胃カメラにて再度の胃がん告知
2015.8.3 胃癌全摘手術
2015.11.3 術後3か月
胃癌全摘復活マラソン 富山マラソン 4:56完走
2016.2.21 京都マラソン 4:59完走
2016. 5 琵琶湖ウルトラウォーキング110キロ完歩
2016.9 ウルトラマラソン挑戦
丹後ウルトラマラソン60キロ完走
小豆島100キロウォーキング完歩
花背トレイルラン25キロ
2017.9 丹後ウルトラマラソン100キロ挑戦 台風中止となる。
2017.12 熊野古道トレイルラン30キロ完走
2018.2019 水都大阪100キロウルトラマラニック完走
2018.9 丹後ウルトラマラソン100キロ挑戦
碇高原負ける。
2019.2 姫路城マラソン 3:58:52 サブ4
2019.3 名古屋ウィメンズマラソン 3:56.46 サブ4PB
ねこ大好き 2011.5.14から、ミックスとらねこさんが、家族になりました。
名前は、もんちゃんです。 ねこ友でも、よろしくお願いします♪
1ミリの物語 なぜ心理学を学び、カウンセラーになろうと想ったか・・
なぜだろう?いつだろう?・・ いつの間にか本格的に心理の世界にのめりこんでしまった。
本来、蓋をしてあるものを引っ張り出して癒すということが解らなかった。
遠くにある記憶、見なくても良いものを出すことによって辛い思いをするのが、良く解らないでセラピーを受けていた。
ある日、母親と向き合う自分が出てきたときに、ものすごいエネルギーを使った。
心も、身体もクタクタであった。それから3年 子供時代と向き合い 母親と父親とたくさん会話をしてきた。
そのうち8割は母親 セラピーを重ねていくと、憎しみから愛情に変化していく。
このとき初めて、母親にどんなに愛されていたのかを知る。
これがセラピーの醍醐味とも言えるのではないだろうか・・
憎しみから愛情に変わったとき、私は強く愛することと、生きるという価値、存在を知った。
人は、環境の変化に順応するのに、肉体も心も消耗する。
東京から京都へ住み、2年を過ぎたころから、身体と心がバラバラになる。
孤独感、アルコールや睡眠薬に頼るような生活。
私が壊れたと知った日
心も身体も、何をしてもどんなに厚化粧しても、鏡を見た自分はボロボロ汗から流れていくファンデーションは、化粧直しをしても、一度崩れた皮膚には、受けつけない。
髪型変えても口紅変えても洋服変えても顔はどす黒く見える。
ほとんど熟睡していないから、頭はボーっとしすっきり感がない。
こんな毎日を続けている。
何が悪いのか解らない・・ 孤独感と虚しさと、淋しさ 誰も私の痛みが解らない 解ってもらえない気持ちでいっぱい。
もう限界 心療内科を訪れると、その日に限って休診日。
心療内科に行って何を求めていたのか?
もう自分は壊れている。壊れていると言って欲しかったのか・・
長く胃痛に苦しみ、胃カメラ検査する。
2003年11月18日 胃癌とその場で告知される。
その時、「親より先に死ぬ」この言葉が頭の中を鮮烈によぎった。
親より先に死んだら、これ以上の親不孝はないと思いこむ。
過去の写真を全て処分する。
出来るものなら、母親に知らせず手術を受けようと悩んだが、大切なことと思い、ありのままを告げる。
母親は、私にこう言った。
「あんたの人生可哀想すぎる」の一言だった。
可哀想すぎるとはどんな意味だろう。 そうだとしたらあなたも私の人生に関わってきたのに・・・。
母親と私との関係が、生きづらさで繋がっていたことを、セラピーを通じて知る。
2004年7月 術後半年後に母 逝く
人生のなかで、もっとも辛い体験を2度味わう。
生きづらさ、生きづらいとは・・
「生きづらさ」に気付いた時、悩み苦しむ。
自分を大切にすることが解らないから。意味が見つからないから・・
セラピー・カウンセリングを通して、命の大切さ、自分を大切にすること知り、
自分を好きになるために、自分探しに心理学を勉強する。