走ることは生きること
2018年 北日本新聞CM
感動をめくろう。
2017.10.30 北日本新聞朝刊
「脚と命がある限り走り続ける」。富山マラソンに特別な思いを持って出場を続けるランナーがいた。がんで2015年8月に胃を全摘した心理カウンセラーの尾崎礼佳(あやか)さん(57)=京都市伏見区=だ。3度目の挑戦はあいにくの天気となったが「雨でも応援してくれた。富山の人の優しさに触れた」と笑顔を見せた。
胃がんが見つかったのは14年ほど前で、3分の2を摘出した。体調不良に苦しむ尾崎さんを刺激したのは、がん手術を経てなおも走り続ける男性ランナーをテレビで見たことだった。「エネルギッシュさに感動し、ある種の悔しさも覚えた」という。
マラソンに挑戦したい気持ちに、体がついていかなかった。胃を摘出したことで柔らかい物しか口にできず、水さえ喉を通らなかった。おなかが痛くなることも多く、体重は手術前の52キロから44キロまで落ちた。
それでも12年から練習を始め、同年4月には三重県の伊勢志摩であったハーフマラソンを完走。以降、神戸や徳島、北海道の大会を次々に走破し、「絶好調だった」と振り返る。
15年に再び胃がんが見つかり、8月に全摘。「もう走れない」。再び絶望の淵に立たされた尾崎さんにとって、既にエントリーしていた富山マラソンが最後の望みだった。これに賭けた。「私には走ることしかない。富山の地で復活を誓ったんです」
手術後数カ月で挑んだ大会は4時間57分で完走。ゴール後は涙があふれた。「ますずしと、立山連峰の景色が忘れられない」と話す。2度目はレース中に腹痛に襲われたが、沿道の人が自宅のトイレを貸してくれたと言い、「人は一人では生きていけないということを、この大会に教えてもらった」と語った。
復活の第一歩となった富山マラソンを「人生の年輪」と表現する。「走ることは生きること。富山マラソンがある限り、走り続けます」。尾崎さんはこの日、富山マラソン自己ベスト記録で三つ目の年輪を刻んだ。
2016年12月 NAHAマラソン完走
胃がんにより胃を全て摘出している尾崎礼佳さん。 マラソン完走証を手に喜びを語った=4日午後、那覇市
2015年8月に胃がんで胃を摘出した尾崎礼佳さん(56)=京都府=が、NAHAマラソンに初出場、6時間1分48秒で完走した。「マラソンを走るのは生きることと同じ」と退院翌日から、マラソンのため歩く練習を始めた。NAHAマラソンを通し「走ることで、がんの人たちに勇気を与えたいと思っていた。でも沿道の人から私が勇気をもらっていると分かった。感謝している」と話した。
尾崎さんは10年ほど前、スキルス胃がんで胃の3分の2を切った。ランニングを始めたのは、それからだ。大会出場の楽しさを知り始めた昨年、残った胃にがんが見つかり全摘手術を受けた。
胃がないため「少しずつ食べて調整しないと、すぐに体調が崩れる」という。しかし「私が走ることで、『私も頑張ります』と言ってくれる人がいる。その人たちのために走りたい」とマラソンを再開。手術から3カ月後に大会にも出場した。
その後、丹後ウルトラマラソン60キロの部をはじめ、各地のマラソンに出場している。「那覇は今年の集大成。暑くて体調の調整が難しかったが、出場できたことがうれしかった」と振り返る。「沖縄の人の優しさを受けて、いっぱい元気になった。楽しかった」と話した。
2016.2.21 京都マラソン
胃摘出の女性、京都マラソン挑む 「闘病中の人に勇気を」
京都新聞 2月19日(金)18時36分配信
胃の全摘出後、富山マラソンに臨む尾崎さん(2015年11月・富山県高岡市)
昨年がん治療で胃を全摘出した京都市伏見区の女性が、頑張る姿を多くの人に見てもらおうと、21日に初めての京都マラソンに臨む。大病を乗り越えての挑戦に「悩み苦しむ人、闘病している人を元気づけたい」と誓う。
介護福祉士や心理カウンセラーとして働く尾崎礼佳さん(55)。2003年に胃がんの手術を受けた際、「目標を持って生きたい」と走り始めた。運動経験はなく、胃の3分の2を摘出したため水分補給も満足にできない状態からのスタート。少しずつ走る距離を伸ばし12年、ついにハーフマラソンを完走し、その後各地でフルマラソンに出場した。
15年8月に胃がんが再発、全摘出した。それでも「生きている実感がある。生きる限り走り続けたい」と諦めきれず、術後すぐにトレーニングを再開。3カ月後には富山マラソンを走破、京都マラソンへの弾みをつけた。
最初にがんが見つかったとき「心身に苦しみを抱える人の役に立ちたい」と、介護やカウンセリングの道を歩むことにした。その思いは強まり「走り続けることで、がんと闘う友人たちや心の病に苦しむ人を勇気づけたい。自分を助けてくれた人たちへの感謝にもなる」と決意を固める。
富山マラソンを走った友人が、京都では沿道から応援してくれるといい、尾崎さんは「支えてくれる人がいるから生きていける。そのことも感じてもらえたら」と語った。