胃癌とマラソン
納骨
走ることは生きること 、尾﨑礼佳でございます。
今日、母の遺骨を納骨してきました。
平成16年7月18日 母は天国に逝きました。
私の胃がんを全部持って母は天国に逝ったのです。
そう信じて11年 再度の胃がんになりました。
正直、母は独りぼっちで淋しく私を呼んだのかもしれない。
私が自由に生きているから、いい加減にしなさい!とお仕置きのつもりで再度の胃がんになったのか? わかりません。
いろいろな事情があり納骨せず、今日 12年の年月にケジメをつけました。
宇治にある、青空と緑が多いメモリアルパーク 春には桜が咲き、今の季節はアジサイが咲いていました。
水も流れ、時間がゆっくりと流れている。
先日、雨の日にジョギングしながら見学して、ここで決めようと決心して二日後に納骨しました。
今年で13回忌 早いですね。
私の胃がん術後6カ月で天国に逝き、私を一人ぽっちにして、何度泣いたか・・
泣いて苦しんで勉強したから今の私がいる。
母さん ありがとう。 「さようなら」
ゆっくり眠ってください。
写真はもんちゃん 生後6カ月くらいでしょうか・・。
走ることは生きること 完走メダル
走ることは生きること、尾﨑礼佳でございます。
いつもご無沙汰して申し訳ありません。
元気にしております。
日々のできごとは、アメブロでご紹介させて頂いております。
5月22日は、走ってみたい場所 小豆島オリーブハーマラソンを、無事2時間8分で完走いたしました。
道マラを思い出すような暑さで、水を首にかけながら走り終えました。
久々に自慢できるタイムではございませんが、自分らしさが戻ってきたように思えます。
二度のがんを経験して、子どもたちに笑顔になって欲しいと思い、完走メダルをプレゼントする活動をはじめました。
私の呼びかけに、心から応してくださる方々から、メダルがたくさん集まりました。
ひとつひとつ、丁寧にシンプルですが、包装させていただいております。
きっと、一瞬の喜びでも良い。 笑顔になって欲しいです。
たくさんのメダルをありがとう。 ありがとうございます。
走ることは生きること 講演いたしました。
走ることは生きること 尾﨑礼佳でございます🎵
紀州新聞に掲載されました。
和歌山 御坊minoricaみのりか 2016.3.29
走ることは生きること がんに教えられた愛と友情を講演いたしました。
二度の胃がんとマラソンへの想い。
私にとって、走ることは生きること!
そこには、「愛と友情」があったことをお伝えいたしました。
完璧な語りではなかったですが、耳を傾けてくださった方々に感謝いたします。
今後も、講演活動をいたしますので、お問い合わせお待ちしております。
2016.2.21 京都マラソン
胃摘出の女性、京都マラソン挑む 「闘病中の人に勇気を」
京都新聞 2月19日(金)18時36分配信
昨年がん治療で胃を全摘出した京都市伏見区の女性が、頑張る姿を多くの人に見てもらおうと、21日に初めての京都マラソンに臨む。大病を乗り越えての挑戦に「悩み苦しむ人、闘病している人を元気づけたい」と誓う。
介護福祉士や心理カウンセラーとして働く尾崎礼佳さん(55)。2003年に胃がんの手術を受けた際、「目標を持って生きたい」と走り始めた。運動経験はなく、胃の3分の2を摘出したため水分補給も満足にできない状態からのスタート。少しずつ走る距離を伸ばし12年、ついにハーフマラソンを完走し、その後各地でフルマラソンに出場した。
15年8月に胃がんが再発、全摘出した。それでも「生きている実感がある。生きる限り走り続けたい」と諦めきれず、術後すぐにトレーニングを再開。3カ月後には富山マラソンを走破、京都マラソンへの弾みをつけた。
最初にがんが見つかったとき「心身に苦しみを抱える人の役に立ちたい」と、介護やカウンセリングの道を歩むことにした。その思いは強まり「走り続けることで、がんと闘う友人たちや心の病に苦しむ人を勇気づけたい。自分を助けてくれた人たちへの感謝にもなる」と決意を固める。
富山マラソンを走った友人が、京都では沿道から応援してくれるといい、尾崎さんは「支えてくれる人がいるから生きていける。そのことも感じてもらえたら」と語った。
胃がん全摘 走ることは生きること
アニッチャ代表 尾﨑礼佳でございます🎵
2015.8.3 胃癌により、全摘手術を受けて4カ月が経ち、血液検査
CT検査を無事に終え何事もなく通過いたしました。
ご心配おかけいたしました。
ただ・・ 肝臓数値が少し高めなので肝硬変にならないように気をつけようと
思っております。
術後3か月で富山マラソンを完走し、大文字山も走ることもできました。
たくさんの人に支えられて、愛と勇気と友情をもらって笑顔な生活を
おくっております。
走ることは生きること
2016 手帳 愛
尾﨑礼佳でございます🎵
2016年手帳が出来上がりました。
もう既に使っていますが・・・
2014年 挑 交野山ハイキングにて
2015年 律 北海道マラソンにて
2016年 愛 富山マラソンにて
どの言葉も私にとっての支えです。特に「律」は忘れもしません。
北海道マラソン炎天下30キロを過ぎたころでしょうか?この言葉が降りてきました。
わがままな生き方ばかりの私に「律」律する 厳しい言葉で、この言葉かなかなか受け止められませんでした。
ただただ癌と闘っている人、病気で戦っている人たちに負けないで
欲しいと願った42.195 北海道
そして、2016 「愛」
2015.8.3 胃癌 全摘後 3か月富山マラソン復活挑戦
降りてきた言葉は「愛」
素直に受け取る「愛」を受け取ろうと思った瞬間
本当にありがとう🎵
2016年は、たくさんの人に私から愛を贈りたいです。
2015.11.1 胃がんとマラソン 富山マラソン完走
2015.11.1 第1回 富山マラソン 4:56完走
術後3か月 制限時間7時間
完走は必ずできると誓った富山マラソン
退院後からウォーキング・ジョギング・長距離練習を重ね、
本当に自分完走できるのであろうか?の問いと戦いの3か月
確信足るものは何もなく、ただひたすら過去の自分の力を甦ることだけを
信じた3か月
開腹手術で呼吸がうまく出来なく、肺をうまく使えなく辛い日々が続く。
体重が3キロ落ち、食事もうまく摂れず体重も増えず・・・
食べて走れば腸が動き予想外のことが起きる。
レース1週間前 5時間切りを宣言
私を支えてくれたのは、ラン友
すべては彼女の力 自分だけの力だけではゴールはできなかった。
ずっと私を支えてくれて、ありがとう。
あきらめず走ることを教えてくれたのは「愛」
「友情」「勇気」
ありがとう🎵
一緒にスタート 一緒にゴール
私を支えてくれて、ありがとう。
4:56 完走
胃癌全摘から2か月
尾﨑礼佳でございます🎵
全摘手術から2か月が経ちました。
日々の生活はアメブロさんに書かせていただいて
おります。
今日は、私の今 感情を書かせていただきます。
今回の胃癌告知から全摘、全摘後をアメブロに
日々自由に自分の記録と書かせて頂きましたが、
今日は涙が止まらなくなってしまいました。
っていうのも、私より若い人、ステージが上の人
抗がん剤治療をする人・・・。
どんなに辛いか苦しいか、どんな日々と時間を過ごして
いるのかと思うと、とめどなく涙が溢れだしてきました。
私は、どれだけ私が好きでわがままなんだろう。
この胸の内を誰かに聴いてもらいたい!と思った。
でも、誰もいないと解ったとき、本当に孤独で辛かった。
この思いを、すべてマラソンにぶつけていくと決めた。
京都マラソン当選しました。
京都マラソンエピソードに書いたコメント
私は、半年前にこう書いたのでした。
—————————–🎵
私は2004年に胃癌になり胃を三分の二摘出し、その後マラソンを始めがん経験者に力と勇気を与えたく、胃がん経験者でもフルマラソン走ることができることを伝えたかった。しかしながら再度胃癌が見つかり8月3日全摘予定です。もう走れないのでしょうか?いえきっと走れます。走れることをこの京都マラソンで伝えたいです。術後約6カ月 完走することに挑戦します。
尾﨑礼佳
胃がん全摘 退院しました
尾﨑礼佳でございます。
2015.8.3 12:30 ~ 19:00
6時間以上かけての手術でした。
通常であれば全摘手術を、私のわがままで
胃の上部を残して欲しいと担当医に伝え
今後のリスクも承諾しての手術でした。
結果
癌は思った以上に広く深く、残念ながら残胃すべて
摘出となりました。
そのために二度手間をかけ、手術してくださった先生方に
感謝の言葉でいっぱいです。
最後の最後までわがままを通し、思いを叶えてくださろうと
してくれたことに頭が下がります。
本日、無事退院いたしました。
たくさんの方にご心配ご迷惑おかけしたことを
お詫び申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
我がままに自由に生きるということ
尾崎 礼佳でございます♪
12年前、胃痛に苦しみ自ら胃カメラ検査希望し癌が見つかる。
スキルス胃癌ではあるが早期発見胃を3分の2を摘出する。
胃癌と聞いた瞬間時間が止まった。
母親より先に死ぬことになるだろう。と鮮烈に頭を過る。
そして12年経った今
新たに胃癌告知を受ける。
ついにきた。
いつか来ると思った。
深い感情は何も起きなかった。
誰かのために生きたい、生きなければならないが見つからない。
私は死にたい訳ではない。
生きて仕事をして、マラソンして笑っていたい。
生きづらさ生きにくさは、私のテーマである。
生きづらさ生きにくさは、自分で作っている。
もっと自由な生き方したい。
もう既に我がままして自由生き方していることに気づいた。
もっと我がままに自由に生きる。